鍼灸科・鍼灸マッサージ科科長
中村 真通 先生

鍼灸マッサージ師を目指したきっかけ

大学卒業後、人やライフプランに関われそうなイメージで生命保険会社に就職しました。入社後は数字の世界で、転勤や残業も多く激務でしたが、それなりに充実した日々を過ごしていました。数年経たある日の昼休み、ふと立ち寄った書店で『なりたい!! カイロプラクティック&はり・きゅう師』(大栄出版編集部)という本を目にしました。もともと医療系の仕事に興味があったので、この本を手に取ったと思います。

最初に医療系に興味を持ったのは、高校時代、柔道で捻挫をした際に接骨院に通った頃でした。当時、接骨院のビルを病院と勘違いし、医学部に行けばこういう仕事ができると思い、高校1年の頃は医学部を志望していました。物理が苦手だったので、高校2年生のときに理系コースから外れたのですが……。ふと目にしたこの本で、医療の資格が3年で取得できること、はり師きゅう師は独立開業できることを初めて知りました。

そんな矢先に会社が倒産したんです。新しい道へ進むタイミングだと思い、カイロプラクティック、鍼灸マッサージの専門学校のパンフレットを取り寄せました。はり師きゅう師、あん摩マッサージ指圧師の受験資格が得られる学校へ行こうと決め、伝統校でカリキュラムが充実していると感じた東京医療専門学校を受験しました。当時は120人定員で、入試には生物のテストがあったにもかかわらず、自分の受験番号は600番台だったと記憶しています。


鍼灸マッサージの道を歩むきっかけとなった本

学生時代の勉強方法

自分はオンオフを分けるタイプなので、授業中は授業に集中しました。当時は板書の授業が主だったこともあり、先生の話をノートに書きとめ、授業後2日以内に復習するようにしていました。アルバイトもしていたので、復習の場所はもっぱら電車内でした。

書き写したB5ノートの見開き1ページをB4用紙にコピーし、重要用語にチェックペンで線を引きます。ここまでは作業として家で行い、翌朝、総武線の電車内で緑色のシートをかぶせて重要用語を覚えます。これは大学受験のときと同じ勉強方法です。B4用紙にコピーするのは、二つ折りにすると電車内で扱いやすくなるからです。


重要用語にチェックペンで線を引いて覚える

仕事と学業の両立、教員養成科へ進学した理由

入学当初は大学時代の友人が社長を務める会社で6カ月間契約社員をし、契約終了後は治療院でアルバイトをしました。生命保険会社で顧客対応の経験はありましたが、医療におけるコミュニケーションや運営などの現場感覚を身につけたかったからです。授業後に教室で昼食をとって、その後すぐに電車で治療院へ移動し、14時から21時まで週4日程度と土日のどちらか働いていました。

教員養成科へ進学したのは、3年生の学内説明会で「教員養成科は臨床力をつけるところでもあります」と聞いたのがきっかけです。養成科の同級生は個性的で優秀な人が多かったですね。授業は15時までで、それ以外に臨床実習もあったので、治療院のアルバイトは1年生の前半に辞め、その後は先輩が独立開業した治療院で経験を積ませてもらいました。2年生になると開業できるくらい自信がつき、実際に2年生のときに友人と開業に至りました。

教員養成科学生時代の勉強方法――ステップアップするための方向転換

本科でも勉強は頑張っていたつもりでしたが、成績は普通でしたので、「何かを変えなきゃいけない」と模索していました。そんな時にバイト先の先生からジェームス・スキナー著『成功のナインステップ』(幻冬舎)という本を紹介され、4日間のセミナーにも参加しました。

セミナーで学んだのは「成功の近道は自分のなりたい人の真似をする」こと。たしかにそれまでの自分の人生を振り返ると、全部真似して吸収しようという気持ちで取り組んだことがなかったので、素直に挑戦してみることにしました。

教員養成科の授業は進むスピードが速く、実技の時はとにかく先生の動きを観察して真似する努力をしました。授業中は余計なことは考えずに先生の話や動きをメモし、当日の夜に思い出しながらまとめます。実践するうちに知識も技術も身につくようになりました。

教員養成科の講師陣は現場で活躍している先生方で、学びの多い2年間でしたが、経絡治療の相澤良先生には特に感銘を受けました。「今日はどの単元だっけ」と先生がおっしゃり、「頭痛です」と学生が言うとその日の授業が始まります。その場で授業を展開し、何を聞かれても即答されます。本当に身についているってこういうことだなと、先生に憧れました。今自分は、教材の作成をし、そのあと学校で授業準備をすることはほとんどありません。相澤先生に近づけるよう、日ごろから伝えられるようにしています。

教員の道を選んだ理由

教員養成科の専任教員だった石川先生が「中村君、教員にならないの?」と声をかけてくださいました。僕は最初の就職先を選ぶとき、父が「メーカーがいいんじゃないか」と助言してくれたにもかかわらず、自分の思いを貫き通して別の進路を選びました。その結果、思ったようにはならなかった。求められている方向へ進むほうがうまくいくんじゃないかと思い、本校の教員採用試験を受けました。

学校では科長の村居真琴先生のもと、先輩の八亀真由美先生とともに専任教員として教員養成科に配属されました。教員養成科は研究指導も担当します。調査法、研究スタイル、統計など一通り学ぶ必要があると考え、教員2年目に筑波大学の社会人大学院へ進みました。これは養成科で教育学の講師を務めていらした先生をモデルにした結果でした。八亀先生に「社会人大学院に行くので残業ができなくなり、申し訳ないです」と言うと、「大丈夫、私が全部やるから」と背中を押してくれました。とても感動し、いつか自分も八亀先生のような器の大きな先生になりたいと思いました。

その後、養成科で研究指導を担当していた村居先生が校長になられたことを契機に、25期生から37期生まで僕が担当することになりました。

専任教員として影響を受けた先生

村居先生には教員養成科の専任教員時代、何度も飲みに連れて行っていただき、教育に対する熱い思いをたくさんお聞きする機会をいただきました。僕が科長になってからもその思いを引き継ぎ今日に至っています。20余年前に父が亡くなりましたが、村居先生は恩師でもあり父のような存在です。

その後の直属の上司で、現在、大宮校の校長になられた齊藤秀樹先生には、本科在学中に解剖学を教えていただきましたが、授業がとても分かりやすかった印象が強く残っています。齊藤先生も相澤先生同様、プリントの印刷以外、授業の準備をしている姿は見たことがありません。臨機応変、分かりやすく楽しく人に伝え、人と仲良くなる達人が齊藤先生です。コミュニケーションやプレゼンテーションについて実践を通して教えていただきました。これからも齊藤先生に倣い、人と人のつながりを大切にしていきたいと思っています。

学生に伝えたいこと

2021年より鍼灸科・鍼灸マッサージ科に異動になり、卒前教育に携わっています。卒前教育では国家試験に合格するといったハードルをクリアすることが必要です。このハードルを効率よくクリアするために「時間を大切に」と伝えたいです。

僕は働きながら学校心理士、登録販売者、公認心理師資格を取得しましたが、試験前はスマホも見ずに電車の中でひたすら過去問を解きました。過去題で解けた問題はもうやらず、間違えた問題を繰り返し解くことをおすすめします。確実に理解したり覚えたりしていない問題は何度も間違えるものです。

本校は臨床教育を含め教育ノウハウを持つ伝統校です。授業中はその時間内に全部頭の中にコピーするつもりで全集中してみましょう。授業に集中すれば効率よく復習でき、復習に充てる多くの時間を別のことに使えます。メリハリをつけて勉強するときは勉強し、遊ぶときは遊ぶ。時間を大切に効率よく知識と技術を身につけていきましょう!

  • インタビューは2023年に実施しました。